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​代表

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一色雄生

​限界への挑戦に挑む

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1988年、東京都国立市出身、大学在学中にICU、ERなど医療の現場を経験して救命士の資格を取得し、保健と体育の専門家へ。教員として日本で2校しか存在しない特別支援学級の立ち上げに関わり、5年間で3校の特別支援学級の開設に従事する。

 

教員4年目には、東大先端研とソフトバンクが提携するプロジェクトのメンバーとして教育ツールの研究、少年院と通常教育の関連性を唱えるが、現場と最先端な教育のギャップを感じ公務員を退職。その後、大手営業会社で勤務、職を転々として、一部上場企業、外資企業と勤務後、組織で活動をすることに限界を感じて、ヒッチハイクで日本を旅する生活を始める。3年間日本を旅して感じたことは、自分は人の役に立ちたいということだった。

「人の人生に影響を与えたい」ということから出版関係の人に教えをこい、1年間の修行を経て合同会社ワンカラーを設立。現在は、現状をなんとかしたいと考えている方や事業、広告、教育などに対して支援を行う活動をしている。


その他にも、カンボジアの図書館開設プロジェクトなどの立ち上げにも関わっている。​また、電子書籍のプロデュースのみならず自身も著者として活動している。


著作物の紹介はこちらから。

挨拶

「人の人生に影響を与えたい」

"So excited!"な元教員起業家の半生

 

「人の人生に影響を与える」というのが僕の一貫した軸で、その手段が変わっていった結果、このような珍しい経歴になりました。

人の人生に影響を与えたいと思ったのは、中学時代にいじめを受けたことがきっかけです。下駄箱の靴がなくなっていたり、自分の机がひっくり返されていたり。そんな時に支えになってくれたのは、所属していたバスケ部の顧問の先生でした。いじめられていた僕に、居場所を与えてくれた。

まさに自分が顧問の先生にしてもらったように、僕も人の人生に影響を与えたい。そう思ったとき、教師という仕事を自然に目指すようになりました。もともと両親とも教員だったので、家庭環境の影響もあったかもしれません。

大学卒業後、晴れて保健体育の教員として公立学校に採用されました。担当したのは、特別支援学級の立ち上げです。さまざまなカリキュラムやガイドラインを作成したことが評価され、5年間で3校に勤務し、それぞれの学校で特別支援学級を立ち上げるという、教員としてはかなり変わった経験ができました。いま思えば、後の起業にも通ずる「事業を立ち上げる面白さ」はこの経験を通じて味わったのかもしれません。

特別支援学級の立ち上げは、確かにやりがいのある仕事でした。しかし同時に、どこか満たされない感情も抱えていたんです。「人の人生に影響を与えるために教員になったけれど、本当にそれを実現できているんだろうか」「自分が本当にやりたいことって何だろう」と。

そこで、経験したことのないことに飛び込んでみようと思い、公務員を退職して、私立の非常勤講師をやりながらさまざまなアルバイトに手を出しました。コンビニ、飲食店、引っ越し、水道管工事、警備、テレアポ営業、バーテンダー、ドライバーなど、その数30種類、場所にして100ヶ所に及びました。また、ヒッチハイクなどを通じて多くの人に出会いながら、必死に自分探しをしました。

そしてあるとき、思い至りました。「本だ」と。出版を通じて、不特定多数の人に影響を与えていく。これはまさに自分が追い求めていたやりたいことのように思えました。これまでに出会った人のツテを頼り、出版会社の編集長と知り合うことができました。幸いかわいがっていただき、出版やビジネスの基礎を叩き込んでもらったんです。

​紙の本の出版には、最低でも200万円ほどのお金が必要ですが、当然私にはそんな貯金はありません。そこで注目したのが電子書籍です。「これなら今の自分にでもできるぞ」と、一念発起して2019年にワンカラーを創業し、現在に至ります。

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